新宿中央公園

新宿中央公園は、1965年(昭和40年)に東京都水道局の淀橋浄水場が閉鎖され跡地の再開発計画として新宿副都心計画がスタートし、1960年代後半から京王プラザホテル、住友ビル、三井ビル、東京都庁舎などとともにつくられました。

淀橋という地名は新宿駅西口の一帯をさし、青梅街道の南側に広がる農村でありました。
江戸の人口急増に対応するため、三代将軍徳川家光の時代に玉川上水が計画され、承応2年(1653)4月4日着工した。多摩川の水を取り入れる堰はかつては「羽衣の堰」とも呼ばれておりました。

248日間の工事の後、同年11月15日、多摩川羽村取入口から四谷大木戸まで高低差92メートル、全長約43キロを完成させた上水路でありました。玉川上水は江戸・東京の都市給水を支えただけでなく、分水は武蔵野台地の生活用水・灌漑用水として農民の生活をささえました。

羽村堰(羽村)から四谷大木戸(新宿区内藤)まで総延長43kmあり、神田川の水源である武蔵野台地最大の湧水池である三鷹市の井の頭池にはいり久我山から四谷大木戸まで、「神田上水」「江戸川」「外堀」という風に呼ばれるようになったそうです。

松尾芭蕉は若い頃にこの工事に従事しておりその後ここに庵をかまえました。文京区関口の芭蕉庵は江戸川橋近くにありこれが神田川に架かっているのに江戸川橋と呼ばれる所以です。
「神田川」と称するようになったのは 1965年の河川法の改正からです。

淀橋浄水場は原水は玉川上水から引き入れ明治31年に竣工しました。
淀橋浄水場を建設する際に、沈殿池を掘った土を盛り上げたのがこの富士見台で、頂に六角堂があり、ビル群がなかった当時は本当に富士山が見えたそうです。

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                             公園内富士見台山頂の六角堂

          

          

   

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